相談という名の独演会
「これからカラオケ行かない?」
平日の真昼間、午後二時。奇跡的に化粧をして外へ出ていた私はその誘いに乗った。
今にして思えば事務のあの子がそんな時間にカラオケなんておかしいのに。
さあて何歌おうかな。私はカラオケが好きだ。というか歌が好きだ。それ以上に、人に歌を聴いてもらうのが好きだ。なぜかって、絶対に褒めてもらえるから。
ガラスのドアを開けると彼女が居た。
何歌おう、カラオケ久しぶりだ、今日はどうしたの?
その瞬間待ってましたと言わんばかりに愚痴がはじまった。
最初の1時間は聞くことにした、うんうん、そうか、それは大変だよねえ。
次の1時間は改善点を指摘した。そんなに嫌ならやめたら。と。好きなことをしたら。と。
最後の1時間は呆れていた。何度も何度も繰り返す愚痴。行っては戻る愚痴。アドバイスはことごとく「だって、でも」で否定されていく。「そう言われても私やらないんだよね」「私わがままなんだ」
話を聞いてほしいだけなのだ。嫌な状況、かわいそうな状況に身を置いて、かわいそうね大変ね、と甘やかしてほしいのだ。かまってほしいのだ、この子は。だから手放さない。辛い職場を、煮え切らない態度の想い人を。将来の不安を。
もう夕ご飯の準備をしなきゃいけない、と止まらない愚痴を遮って私が言ったのは3時間半が過ぎたころだった。午後6時近い。一曲歌うと、やっぱり褒めて貰えて、ここに来て初めていい気分になった。最後にもう一曲、二人で歌って、じゃあ、と別れた。
最後出口でもまだ言い足りなさそうに「私甘えたいんだよね」と零す彼女はちっとも儚げでもかわいそうでも悩み多き人にも見えなかった。気味の悪い強欲な怪物のようだった。
別れてから2時間後、彼女から「今日は突然だったのにありがとう、言われたことやってみようかなと思う。次は楽しく遊べるようにするね」の文字が送られてきた。
ぞっとした。楽しかったくせに。興味と関心を一身に受けて、あなた以外にも相談に乗ってくれる人はいるのよ、と優位に立って見せて、私の意見をことごとく否定して言葉尻を奪い取って私つらいの、かわいそうなの、と自動小銃を連発して。自分の話だけして人を否定して快感なのだ。やめられない麻薬だ。これからも彼女の人生はかわいそうに溢れたものになるだろう、たとえ、他人から見てそれがどんなに恵まれていても。
似ているのかもしれない、そうも思った。かつての私も人の興味、関心が欲しかった。けれどそれすら出来なかった。嫌われることが怖かった。
今、私は私の本音と向き合っていきたい。もう誰かに振り回されたりしなくていい。どうでもいい誰かのことじゃなく私をまず喜ばせたい。
自分の意見をはっきりと持つあの怪物に嫉妬しながら私は、また遊ぼうね、そう返事をして、静かにブロックを選択した。