利用されてる、を利用しよう
人の役に立つって、とてもいい響きですよね。
人の役に立つ人になりたいです!なんていう人を周りは「あら、いい子ね!」なんて言って褒めるんじゃないでしょうか。
でもこれかつての私はとても苦手でした。嫌いでした。けど、「人の役になんて立ちたくない!」なんて言ったら怒られるんじゃないか、危険な思想なんじゃないか…(危険な思想て)
どこが嫌だったって、自分が損することが嫌だったんです。誰かの為に私は一生懸命やって、苦しんで疲れ果てて、ありがとうをもらうことがあってももう、朦朧としてて喜びをかみしめる暇もないというか。けど嫌われたくない一心で、ニコニコしちゃってるから、またよろしくね!なんて言われて。
嫌なら嫌と言ってよかったんですよね。前提として「普通にしてるだけで嫌われる人だから、役に立たなきゃ、やりたくないことを苦しくても我慢してやらなきゃ褒めてもらえない」という思い込みがあったことも原因のひとつかな。自己犠牲は美徳、みたいな。
多分、心から「人の役に立ちたい!」と言っている人は自己犠牲じゃないんですよね。
人の役に立って、満足感を得たい。人の感謝を貰って、安心したい。生きた証を残したい。いいことして、夜美味しいビールを飲みたい。とか。
今、私がブログを書いているのも、人の役に立ちたいから、もあるけど、
「過去こんなことがあって今こう思うことを残しておくと、また似たようなことがあったとき思い出すのラクじゃん、そのついでに誰かも助かったら儲けものじゃん?」
くらいの、人助けという名の自分助けというか。
世間的にもやりたいことやって、それが結果誰かを救ってたってことありますからね。
自分の弱点だと思ってた恥ずかしいような個性も、誰かにとっては喉から手が出るほど欲しい宝物だったりするし。
あと、過去の「ホントはやりたくないんだけど嫌々やったこと」も、誰かの役に立ってて、私はやってみてそれはやっぱりやりたくないことだって分かったし、そんなに責めることもないんですよね。
誰かを癒すついでに自分も癒されちゃおう、利用されてるを利用しちゃって、やりたいことやろう。
やりたいこと=忙しく充実させることじゃなくてもいい。
ずーっと寝たい!ならそれがやりたいことだし。
誰かがいいね!というやりたいことじゃなくて、私しか楽しさ分かんないだろうけど、これやりたい!ということを選ぶのが大事だなと思います。
それではまた~