いつか、どこかの私へ

軽やかに自由に、生き方について考えたり遊んだり。

楽しむために生まれたことにしました

引きこもり同然なので運動不足解消のためにトランポリンなんぞをやるのですが、これがまためちゃくちゃ楽しい。

 

何だか分かんないけど楽しい!楽しい!!(和牛のラジオ聞きながらだからやったからか)

 

って30分くらいやって息を整えて、飲み物飲んだりして、ふう、と一息つくと

 

ふと、野村のサッチーの死因が虚血性心不全だった、心臓に負担がかかった高齢の人に多い病気で…などという一文を見つけて青ざめるわたし。

 

いや、高齢じゃないけどね、一応。マエケンさんもそれだったけどその時のマエケンさんよりもずっと若いから大丈夫と思うけどね…でも圧倒的に運動してないので恐ろしくなったり。ううんでも運動気持ちいいんでまたやるけど…

 

なんかこういう時ふと、人生をああもうめんどくさいなあ、全部やめてしまいたい、とかも思うのですがその反面めちゃめちゃ死にたくないので、ああじゃあ、生きていくしかないなと。

 

死ぬのはまあ、決めなくても焦らなくても確実に決まってるじゃないですか。大金持ちも貧乏な人も美人もそうでない人も、必ず生まれたら死ぬので。

 

そして、産まれたら、死ぬまでは生きることが出来る。それは約束されてるわけですよ。期間や環境の違いはあれど。

 

どうせ生まれてしまったし、どうせ死ぬし。その間生きてるなら、楽しみたい。

 

今のところ私の楽しいことって生でお笑いやステージを観に行くことだから、それを定期的に叶えられるようにするとか、あとは歌うことが好きだからnana(カラオケアプリ)に歌を投稿するとか、カラオケ行くとか、こうやって文章を書くことも好きだからブログとか小説とかノートに色々書くとかかなあ…ああ、友達と萌えの交換をするのも好きだなあ…互いに萌えを尊重し交換し合う女子会…

 

そんな折今日ワイドナショーとろサーモンと和牛が出てて、川西さんが「(優勝を目指すあまり)今年一年漫才が楽しくなかった、来年は優勝の期待値もあるけど楽しく漫才をしたい」というようなことを仰っていて、

 

刺さるなあー!と。あんだけ頑張って頑張って、けど優勝とはいかなくて。それはやっぱり頑張りが足りないとかじゃないんですよね。あそこに出られる芸人さんで頑張りが足りない人なんているわけないですし。

 

私は漫才師じゃないけど、自分を知りたくてちゃんと向き合いたくて仕事を辞めた私にもなんか、響きました。

 

自分と向き合う作業はつい、説教じみてしまうというか、こうも考えられるじゃないかとか、ともすれば自分の感情を否定してしまうこともあって…

 

それって本末転倒なんですよね、自分の声を聴きたくて始めたのに、自分で自分の声にフタをして言う事聞かせようとして。

 

どんなに支離滅裂な論理でも、圧倒的に私が悪くても、一度は自分の声をそうだね、それはしんどかったね、って聞いてあげなきゃなあ、と思いました。しっかり味わわなきゃと。しっかり噛んでよく味わわないと食べた気しないというか、消化に悪いですし。

 

そもそも自分に向き合うの好きなはずで、自分が好きなはずで。最近は向き合うたびに自分からも叱られるから向き合うのも嫌になってたなあと…もう、その自分と向き合う作業も楽しくしたいです。向き合うのも楽しい、向き合った未来はもっと楽しい。人生を楽しむために私は生まれたと、そう思うことにしました。

 

一生勉強だとして、教科書は選べるわけです。私の今の教科書は和牛で、和牛はもちろんすごいし、そんな素敵な教科書を選んだ私もすごいと思いたい。

 

とりあえず3月のM-1ツアー行きます。和牛のある人生はきっと楽しい。