いつか、どこかの私へ

軽やかに自由に、生き方について考えたり遊んだり。

選択肢を見付けていこう

Xperiaにしました。わーいわーいSonyだ!

 

何がいいのかは分かんない。でも、テレビでやってるから良さそう。スマホカバーもiPhoneの次に種類あるし。やったやった。

 

よくわかんないけど、画素も多いし。音もいいんでしょう?ん??

 

こんにちは。よく分かんない、が口癖です。

 

家に居ますがおばあちゃんの内職を手伝ったり家事したりで何かと忙しいと言えば忙しいです。地味に忙しいけど社会人の皆様とは比べ物にならない程度なんであんまり偉そうに言えない。

 

専ら最近頭の中は和牛。今夜のご飯は豚です。たぶん。決めてない。決められない。めんどい。5時なのに暗い。冬の新潟は暗い。

 

この間年末のアルバイトの依頼が親戚から来たのですが(ありがたいことですね)

 

前回はやってない気がしたし、今回も無いと思っていたところでの依頼だったので慌てふためきました。

 

ああいう時って、何でしょうね、絶対に嫌だ!!!!ってなるんです、いつも。お願いします、って依頼されて働かせて貰えることがどんなにありがたいか、は分かっているつもりなのですが…

 

落ち着いてくると、まあ何日かだし、やったことあることをやるのだろうし、出来そうじゃない?って自分に言えるんですけど、まず浮かぶのが無理!いや!やらない!なんですよねえ…いじわるしてくる人とかいないんですけどね…

 

お願いされて、最終的には受ける。別にいいじゃないですか。でもすっっっごく嫌な気持ち。

 

なんでそんなに嫌なんだろう?と考えてみたところ。

 

選択肢がない

 

という結論に至りました。つまり。

 

仕事の依頼が来る→断りたい→しかしこの田舎で親戚をスルーして生きていくことは困難→今すぐここを出ていくor死ぬ→それは無理→受けるしかない

 

一択!!??

 

えっ、私やれって言われたら問答無用でやらなきゃいけないの…!!???みたいな…

 

そういう、選択肢がひとつしか見えない状態に陥るとパニくるんですねきっと。

 

本当は別に、無限に選択肢があるんですよね。

 

面倒なんでやりたくありませんと伝える(正直パターン)

 

年末大掃除したり家のことが忙しいんですいませんと謝る(美化パターン)

 

面倒だから親に断ってもらう(丸投げパターン)

 

いいけど短い時間じゃないと嫌ですと伝える(モノ言う若者パターン)

 

そっと無視(さようならパターン)

 

そっと無視いいな…(笑)

 

結局普通に受けたんですけど、その日が来るまでがもうつらいです…死へのカウントダウンが始まった気持ちです…いや、産まれたときから始まってるんだけど…

 

体力もそうだけど今何してるのとか陽気に聞かれたら答えに窮して精神が死にそう(笑)

 

でもまあ、私にはまだ「直前でやっぱり断る」とか「途中で断る」という選択肢もあるぞ!と思って、それをお守りに働こうと思います。

 

そう思いながらもきっと、しんどくてもめっちゃ真面目に明るく働いちゃうんですけどね…それがまた嫌だ(笑)

 

みんな敵じゃなくて味方だから信じて働こう、お金ももらえるし…暇つぶしと気分転換になるし…ご飯が美味しく食べられるし、はあ。

 

嫌なことは断ろう。来年はそういう一年にしたいです…(笑)

相談という名の独演会

「これからカラオケ行かない?」

 

平日の真昼間、午後二時。奇跡的に化粧をして外へ出ていた私はその誘いに乗った。

 

今にして思えば事務のあの子がそんな時間にカラオケなんておかしいのに。

 

さあて何歌おうかな。私はカラオケが好きだ。というか歌が好きだ。それ以上に、人に歌を聴いてもらうのが好きだ。なぜかって、絶対に褒めてもらえるから。

 

ガラスのドアを開けると彼女が居た。

 

何歌おう、カラオケ久しぶりだ、今日はどうしたの?

 

その瞬間待ってましたと言わんばかりに愚痴がはじまった。

 

最初の1時間は聞くことにした、うんうん、そうか、それは大変だよねえ。

 

次の1時間は改善点を指摘した。そんなに嫌ならやめたら。と。好きなことをしたら。と。

 

最後の1時間は呆れていた。何度も何度も繰り返す愚痴。行っては戻る愚痴。アドバイスはことごとく「だって、でも」で否定されていく。「そう言われても私やらないんだよね」「私わがままなんだ」

 

話を聞いてほしいだけなのだ。嫌な状況、かわいそうな状況に身を置いて、かわいそうね大変ね、と甘やかしてほしいのだ。かまってほしいのだ、この子は。だから手放さない。辛い職場を、煮え切らない態度の想い人を。将来の不安を。

 

もう夕ご飯の準備をしなきゃいけない、と止まらない愚痴を遮って私が言ったのは3時間半が過ぎたころだった。午後6時近い。一曲歌うと、やっぱり褒めて貰えて、ここに来て初めていい気分になった。最後にもう一曲、二人で歌って、じゃあ、と別れた。

 

最後出口でもまだ言い足りなさそうに「私甘えたいんだよね」と零す彼女はちっとも儚げでもかわいそうでも悩み多き人にも見えなかった。気味の悪い強欲な怪物のようだった。

 

別れてから2時間後、彼女から「今日は突然だったのにありがとう、言われたことやってみようかなと思う。次は楽しく遊べるようにするね」の文字が送られてきた。

 

ぞっとした。楽しかったくせに。興味と関心を一身に受けて、あなた以外にも相談に乗ってくれる人はいるのよ、と優位に立って見せて、私の意見をことごとく否定して言葉尻を奪い取って私つらいの、かわいそうなの、と自動小銃を連発して。自分の話だけして人を否定して快感なのだ。やめられない麻薬だ。これからも彼女の人生はかわいそうに溢れたものになるだろう、たとえ、他人から見てそれがどんなに恵まれていても。

 

似ているのかもしれない、そうも思った。かつての私も人の興味、関心が欲しかった。けれどそれすら出来なかった。嫌われることが怖かった。

 

今、私は私の本音と向き合っていきたい。もう誰かに振り回されたりしなくていい。どうでもいい誰かのことじゃなく私をまず喜ばせたい。

 

自分の意見をはっきりと持つあの怪物に嫉妬しながら私は、また遊ぼうね、そう返事をして、静かにブロックを選択した。

楽しむために生まれたことにしました

引きこもり同然なので運動不足解消のためにトランポリンなんぞをやるのですが、これがまためちゃくちゃ楽しい。

 

何だか分かんないけど楽しい!楽しい!!(和牛のラジオ聞きながらだからやったからか)

 

って30分くらいやって息を整えて、飲み物飲んだりして、ふう、と一息つくと

 

ふと、野村のサッチーの死因が虚血性心不全だった、心臓に負担がかかった高齢の人に多い病気で…などという一文を見つけて青ざめるわたし。

 

いや、高齢じゃないけどね、一応。マエケンさんもそれだったけどその時のマエケンさんよりもずっと若いから大丈夫と思うけどね…でも圧倒的に運動してないので恐ろしくなったり。ううんでも運動気持ちいいんでまたやるけど…

 

なんかこういう時ふと、人生をああもうめんどくさいなあ、全部やめてしまいたい、とかも思うのですがその反面めちゃめちゃ死にたくないので、ああじゃあ、生きていくしかないなと。

 

死ぬのはまあ、決めなくても焦らなくても確実に決まってるじゃないですか。大金持ちも貧乏な人も美人もそうでない人も、必ず生まれたら死ぬので。

 

そして、産まれたら、死ぬまでは生きることが出来る。それは約束されてるわけですよ。期間や環境の違いはあれど。

 

どうせ生まれてしまったし、どうせ死ぬし。その間生きてるなら、楽しみたい。

 

今のところ私の楽しいことって生でお笑いやステージを観に行くことだから、それを定期的に叶えられるようにするとか、あとは歌うことが好きだからnana(カラオケアプリ)に歌を投稿するとか、カラオケ行くとか、こうやって文章を書くことも好きだからブログとか小説とかノートに色々書くとかかなあ…ああ、友達と萌えの交換をするのも好きだなあ…互いに萌えを尊重し交換し合う女子会…

 

そんな折今日ワイドナショーとろサーモンと和牛が出てて、川西さんが「(優勝を目指すあまり)今年一年漫才が楽しくなかった、来年は優勝の期待値もあるけど楽しく漫才をしたい」というようなことを仰っていて、

 

刺さるなあー!と。あんだけ頑張って頑張って、けど優勝とはいかなくて。それはやっぱり頑張りが足りないとかじゃないんですよね。あそこに出られる芸人さんで頑張りが足りない人なんているわけないですし。

 

私は漫才師じゃないけど、自分を知りたくてちゃんと向き合いたくて仕事を辞めた私にもなんか、響きました。

 

自分と向き合う作業はつい、説教じみてしまうというか、こうも考えられるじゃないかとか、ともすれば自分の感情を否定してしまうこともあって…

 

それって本末転倒なんですよね、自分の声を聴きたくて始めたのに、自分で自分の声にフタをして言う事聞かせようとして。

 

どんなに支離滅裂な論理でも、圧倒的に私が悪くても、一度は自分の声をそうだね、それはしんどかったね、って聞いてあげなきゃなあ、と思いました。しっかり味わわなきゃと。しっかり噛んでよく味わわないと食べた気しないというか、消化に悪いですし。

 

そもそも自分に向き合うの好きなはずで、自分が好きなはずで。最近は向き合うたびに自分からも叱られるから向き合うのも嫌になってたなあと…もう、その自分と向き合う作業も楽しくしたいです。向き合うのも楽しい、向き合った未来はもっと楽しい。人生を楽しむために私は生まれたと、そう思うことにしました。

 

一生勉強だとして、教科書は選べるわけです。私の今の教科書は和牛で、和牛はもちろんすごいし、そんな素敵な教科書を選んだ私もすごいと思いたい。

 

とりあえず3月のM-1ツアー行きます。和牛のある人生はきっと楽しい。

1年目の仔牛がM-1グランプリ2017の和牛を語る

はああ。M-12017、チャンピオンはとろサーモンでしたね。おめでとうございます。焼き芋のネタが好きなので、たくさんの人にあのネタが見て貰えてよかったです。

 

正直私は仔牛ちゃん(和牛ファンの総称)なので、多少のガックリもあるのですが、和牛さんは今年出来る最大限のことをしたと思うし、一本目のウエディングプランナーのネタなんてぞっとするほど面白かったです。伏線の回収が痛快でした。一本目であえて水田さんの屁理屈を封印して、二本目では満を持しての屁理屈漫才。旅館のネタはおなじみのネタなので、おお!と思いつつも優勝できるほどのインパクトがあるかどうか…?と出だしで思いましたがとんでもなくブラッシュアップされていて、これはいけるかも!と思える内容でした。

 

ところでネタ後に3組並んでコメントを求められて、全国の仲居さんに「すいませんでしたぁ」とネタさながらに腰をしゃなりと折って謝る川西賢志郎さんの落ち着きといったら無かったですね。怖いくらいでした。

 

銀シャリの橋本さん(探偵の方)の、「本物の川西はすでに死んでいて、今いる川西はクローン、AI」というボケがふと頭によぎった瞬間でした。

 

結果は惜しくも2位でしたが、来年もM-1で戦う和牛が観れるという喜びもあります。また長い戦いが始まりますね。もう始まっているようなものか。

 

アキナ、和牛、アインシュタインの三組が好きなのでM-12018はぜひその三組に決勝進んでほしいなあ。そして来年こそ和牛が優勝して、泣きながら抱き合う二人をみたい。

 

来年の今頃私は何しているかなと考えると見当もつかないですが、和牛の優勝を観れるようにはしておきたいですね。より心からやったー!と言えるように今から私も調整していきますか(笑)

 

単独ライブ行くぞー!わー!

アキナと和牛と銀シャリと私~絶景奥会津~

お笑いが好きです。

 

ラーメンズバナナマン、和牛。とっても美味しそうな三組が最近特に好きで、この間は和牛を見るために他人しかいないバスツアーにぼっち参加してきました。

 

アキナ・和牛・銀シャリが絶景漫才を披露するという絶景奥会津バスツアーです。

 

和牛、銀シャリというともうご飯感がすごい。

 

得るものが多い旅でした。私普段は些細な予定にも怯えて家をあまり出られない性質なのですが、ひとりで他人と雑魚寝するバスツアーに参加するとは…

 

実は参加を迷いに迷って、最終的にネットで『迷い 決断』でググって80歳になったときに実は若い時にな…って誰かに楽しく話せる内容かどうかで決めるという文章に出会って、

 

「話せる!!!話したい!!!!!」

 

という結論に至り参加を決断したのでした…ネットってすごい。

 

サインと写真撮影があるのも魅力的でした。個人的に2017年のM-1チャンピオンは和牛だと思って生活している仔牛ちゃん(和牛ファンの総称)なので、M-1取ったらもっと忙しくなるじゃん…劇場で出待ちするのも疲れそうだしこれもう次の機会はないでしょ…っていう。

 

以下覚書きトーク・サイン・写真撮影会レポ

 

 

アキナさん(どっちか)が水田さんにラスティネイルをオーダー。

 

水「どーれだけー!」

 

個人的に(以前生でカバーを聞いた)東方神起チャンミンファンでもあるのでこの歌歌う水田さんも好き。生で聞けて嬉しい!水田さんの高音が大好きなのでうれしかった!多分原キーでした!

 

鰻さんも菊水丸さんに弟子入りした時の一節(だったかな?)を披露

 

コンビ組んで良かったと思うことは、との問いに

 

アキナさんはコンビ揃って「学生時代に会っててもきっと親友になっていたはず」

 

と仲の良さをアピール。

 

和牛のお二人は水田さんが「背中流してくれる時」と得意げにいうと賢志郎さんが爆笑。「そんなんしてるかい」と突っ込みながらも負けじと「ご飯作ってくれる時やね」と返し、

 

「一緒に住んでんのかい」と一同からの総突っ込みを受けてました。笑った。

でも元料理人だからご飯が美味しいのはホントだと思う。

 

 

アキナ→和牛→銀シャリの順。

 

アキナさん、いい感じの応対。でも緊張のあまり、あとそこまで詳しく知らなくて何も話せず…でもいい人たちそう、と思う。目を見てくださる。

 

ついに本命和牛さんの番。大好きな水田さんから。

 

私「あの、私ゆかりっていうんで、ゆかりちゃん、って言ってください」

 

水「(サイン書きながら)ゆかりちゃんね…」

 

私「(うわー名前言ってくれてる!)あの、今日は水田さんを見に来ました」

 

水「ああ、おぉ、そうすか…」

 

私(照れてる…のかな??そう思いたい…!引いてるとかじゃなく!)

 

水「(書きながら)机が揺れるな…はい(色紙を渡す)」

 

私「ありがとうございます(うわーうわー)」

 

最後に目を見てくださいました、ラジオとかだと結構ファンです、みたいな子に対してやったー!みたいな、元気いいリアクションが多い方なので、もし「○○ちゃん!」って元気に言ってくれたら、「水田くん!」とか、言おうかなとか画策していましたが、すごくナチュラルなトーンで「○○ちゃんね…」と言ってくださったのでドギマギしてしまいました(笑)多分、言ってください、が書いてください、に聞こえたのかもしれませんが…とにかく、リアルな感じの水田さんとお話し出来てよかったです!

 

次は大人気の川西賢志郎さんだったのですが、水田さんと話せた衝撃で何も話せず…でもしっかりと目を見てくださって、ありがとうございます。と仰ってくれました。綺麗な男前の顔でした。あれは人気が出る筈です…(バスの中でも大半が賢志郎さんファンでした)

 

次は銀シャリの鰻さん。子どもみたいなあどけない笑顔が可愛すぎます。年上の男の人なのに、甥っ子みたいに可愛いです(笑)

 

私「あの、安室ちゃんのネタ好きです」

 

鰻「ああ!ありがとう!」

 

すっごい笑顔です。キラッキラ。まぶしい。あとなんか灼けてる。よくお外で遊んでるのかな?みたいな無邪気な笑顔でした(笑)

 

橋本さんには何も言えず…まじまじとみてもやはり橋本さんでした。鰻さんの描く似顔絵と同じ。ありがとうございます、と誠実そうな笑顔で色紙を渡してくれました。

 

そして三組との写真撮影会。すごい。意味が分からん。アキナと和牛と銀シャリと私。

 

三組が横に並んでる前に「お願いしますー」と立つ私。

 

「はーい」と返事をしてくださる三組の方々。返事してくれる…

 

私のスマホで撮ってくださるスタッフの方「撮ります」

 

バシャ、バシャバシャ…バシャ

 

水田さん「え、何回撮ってんの?」

 

スタッフ「ちょっと撮れてるか確認してください」

 

私「あ…大丈夫です!ありがとうございました!」

 

三組「ありがとうございました~」

 

グッジョブ私のスマホ…カメラ機能反応が悪いのが幸いして4枚も撮れてました(笑)

 

ええと…まだまだ書きたいのですがまたあとで…!友達に自慢してきます!

ヤンキーと引きこもりとキラキラ女子、ときどきおじいちゃんと子ども

みんな心に何人飼っているんだろう。私はタイトル通りの感じ。

 

とは言え人格が分裂しているとか別人格の時の記憶がないとかそれぞれ名前が付いていて…とかいうわけじゃないので、ふんわりしたものだと思う。

 

ヤンキーくんは多分言いたいこと言えない私を守ってくれるキャラかな。喜怒哀楽でいうところの怒。

すごく口が悪いし、声も大きい。目つきも悪い。私が傷付いて、ムカついて、でも何も言えないときに影でこっそりキレてくれたりする。基本姿を人にはあまり見せないけど、お母さんの前とか。

 

もちろん私がしゃべってるんだけど、普段あまり頭も回転しないし噛みまくるのにヤンキーくん状態の時は次から次へ言葉が出てくる。言っていてすごく快感。でも途中でそこまで怒ることじゃないけどな、ともどこかで思う。

 

 

引きこもりくんは精神的に大変な時。どこへも行きたくない若しくは小さな予定にも敏感で、(耳鼻科に行くとか)TVで健康特集を見たらそれをやらなきゃ、とか、何か重大な病気があるんじゃないか、とか、楽しい予定にすら怯えていたりする。起きれるかな、とか寝れるかなとか。この時は頭がぼーっとしてて、言葉が出てこないし、出ても大いに噛む。

喜怒哀楽でいうなら哀かな。少しの心配を気にしすぎてかき集めて巨大な心配にしがちだけど、この子のおかげでいい病院が見つかったりいい出会いがあったりすることもあるし、健康診断が出来ているという節もある。あと、いい歌が沁みる。健康のありがたさとか些細な幸せによく気付けている気がする。

 

 

キラキラ女子は喜怒哀楽の喜でしょうね。心身共に調子のいい時や、女子会の時はずーっとこれ。キラキラキャッキャしている。バブルランというただのパリピしか居ないブチアゲイベントに参加した時は最高にこれ。私の素ってこれなんじゃない?とキラキラ女子している時は本気で思う。あと、地元の友達が何人かこんな感じで、一緒に居ると移る。体力的には疲れる筈だけど何故か平気なのもキラキラならでは。

高橋一生とか東方神起とかバナナマンとかラーメンズを観ていてもちょっとこんな感じ。

 

 

おじいちゃんは喜怒哀楽の楽。語尾が「~じゃ」、になる。多少千鳥のノブが入っている気もしないでもない。癖がすごい。女子じゃないので気楽。若者じゃないのでもう頑張らなくていいし、あとはテレビでも見て死んでいくだけといった感じ。芸能人の可愛くて若い女の子が好き。もちろん女子じゃないので嫉妬もしないし、若者じゃないので手が届かないから諦めてただただ応援することが出来ている感じ。楽なのかそれ。ちょっと泣けてくる。

 

 

喜怒哀楽でもなくて厄介なのが子ども。これが一番凶悪かもしれない。でもここと仲良くできたらラクに生きていけるかもしれないし、楽しくて自由な大人になれるかもしれない。

 

子どもって無邪気でお母さんに甘えられる子どもじゃない。本来それが子ども時代なんだろうけど。恨みとか寂しさとかがギュッと詰まってねじれてる感じ。

 

子どもの時こういう事がいやだった、と母や父に伝えて、そうだったのか、と分かってもらって、謝ってもらって、もういいと思っていたけどまだ良くないみたい。

 

子どもを終えて大人になることが恐ろしいのかな。年齢でいうと大人になってから何年か経っているけど、アルコールやたばこはもちろん、正社員での就職、恋愛、結婚、出産といういわゆる『大人の醍醐味』からは逃げて逃げて今日に至っているし(これが大人だという発想も、ちょっと子どもなのかもしれないけど)

 

このいつまでも子どもで居たい、ということを考えるといつも頭によぎるのが、中学生の時。自分のことも他人のことも嫌いで、クラスメイトが怖くて気持ち悪くて学校へ行けなくて、欠席や早退を繰り返してた時、家族でトランプしたことがあって。

 

まだ2人の弟が小学生で、父も母もみんなでやったそのトランプが楽しくて幸せで、ああこんなに家って幸せなのかと思ったことがある。特に弟2人が本気で楽しく遊ぶのが可愛かったし、学校にろくに行けない私のことも弟2人は責めて来たりしなかったから。

 

そういえば私は極度のブラコンで、『弟達が可愛い』というのをエンジンにかなりオトナをやってきたような気もする。弟が喜ぶのを見たくてゲームでわざと負けたり、おかずの多い方を譲ったり、弟の観たいテレビにしたり、からかってくるのを嫌がらなかったり、ほとんど怒らなかったり。進路決定の時には大学の指定校推薦を拒否して、成績が優秀だった弟達に学費が行くようにしたり。(後々あまり興味のない大学だと知ったけど、当時は健康状態の不安なども重なって未来が真っ暗になった)

 

私の言う『こども』って『お姉ちゃん』とイコールなのかもしれない。

 

すぐ下の弟は2歳差で産まれているからほぼひとりの記憶はない。でもアルバムをめくるとそれはそれは弟を溺愛していて、前述のお姉ちゃんとしてのオトナな行動もやりたくてやった、とも取れる。

 

『私が我慢したら弟達がしあわせになれるはず』

 

『私が我慢したら両親も喜ぶはず』

 

そういう全くゆがんだオトナ思考で私はお姉ちゃんという名の『子ども』時代を過ごした。

 

リターンはあった、長男は超名門大学で院まで行き、大好きなスポーツのサークル内で彼女を見つけ、結婚し、子どもを儲けて一流企業に勤めるイクメンだ。お嫁さんの実家近くに住み、尻に敷かれつつも幸せそうに笑う弟を見ると、よかったな、と感じる。

 

次男も第一志望の名門大学へ進んだ。忙しそうだったけどちょくちょく様子を見に行っては癒された。幸せな時を過ごすことができた。

 

もう家には子どもは私しか居ないので、私はお姉ちゃんをすることが出来ないでいる。

 

我慢するオトナをするメリットがなくなり、モチベーションが下がったのかもしれない。

 

弟のお姉ちゃんをする=子ども

 

では、

 

次世代へオトナの役割をする=大人?

 

そう考えたときに、またあの歪んだ我慢をしたくない。

 

というか多分、あのへんな我慢は大人じゃない。

 

私が陰で泣くことを、死にたくなる選択肢を選ぶことを、家族の誰が喜ぶだろうか。

 

楽しそうな大人いっぱい居るじゃん。私だってなんかこう、高橋一生みたいな、星野源みたいな、設楽統みたいな!そういう人と恋愛とかしてみたい!そういう人じゃなければしない!

 

楽しい仕事や楽しい子育てだってこの世の中にはあるはずだ、多分。楽しくなければしない!

 

これからはそういう、色々やらかして失敗して恥かいて笑われながら、子どもみたいに大人の甘い汁を啜って生きていきたい。

 

ところで、お姉ちゃんじゃないただの私は何がしたいのか。分かっている気もするけど今はこの辺でやめとく。

利用されてる、を利用しよう

 

人の役に立つって、とてもいい響きですよね。

 

人の役に立つ人になりたいです!なんていう人を周りは「あら、いい子ね!」なんて言って褒めるんじゃないでしょうか。

 

でもこれかつての私はとても苦手でした。嫌いでした。けど、「人の役になんて立ちたくない!」なんて言ったら怒られるんじゃないか、危険な思想なんじゃないか…(危険な思想て)

 

どこが嫌だったって、自分が損することが嫌だったんです。誰かの為に私は一生懸命やって、苦しんで疲れ果てて、ありがとうをもらうことがあってももう、朦朧としてて喜びをかみしめる暇もないというか。けど嫌われたくない一心で、ニコニコしちゃってるから、またよろしくね!なんて言われて。

 

嫌なら嫌と言ってよかったんですよね。前提として「普通にしてるだけで嫌われる人だから、役に立たなきゃ、やりたくないことを苦しくても我慢してやらなきゃ褒めてもらえない」という思い込みがあったことも原因のひとつかな。自己犠牲は美徳、みたいな。

 

多分、心から「人の役に立ちたい!」と言っている人は自己犠牲じゃないんですよね。

 

人の役に立って、満足感を得たい。人の感謝を貰って、安心したい。生きた証を残したい。いいことして、夜美味しいビールを飲みたい。とか。

 

今、私がブログを書いているのも、人の役に立ちたいから、もあるけど、

 

「過去こんなことがあって今こう思うことを残しておくと、また似たようなことがあったとき思い出すのラクじゃん、そのついでに誰かも助かったら儲けものじゃん?」

 

くらいの、人助けという名の自分助けというか。

 

世間的にもやりたいことやって、それが結果誰かを救ってたってことありますからね。

 

自分の弱点だと思ってた恥ずかしいような個性も、誰かにとっては喉から手が出るほど欲しい宝物だったりするし。

 

あと、過去の「ホントはやりたくないんだけど嫌々やったこと」も、誰かの役に立ってて、私はやってみてそれはやっぱりやりたくないことだって分かったし、そんなに責めることもないんですよね。

 

誰かを癒すついでに自分も癒されちゃおう、利用されてるを利用しちゃって、やりたいことやろう。

 

やりたいこと=忙しく充実させることじゃなくてもいい。

 

ずーっと寝たい!ならそれがやりたいことだし。

 

誰かがいいね!というやりたいことじゃなくて、私しか楽しさ分かんないだろうけど、これやりたい!ということを選ぶのが大事だなと思います。

 

それではまた~